1 はじめに
会社に勤務している方は、業務上アスベストに曝露した場合、勤めていた会社に対して損害賠償を求めることができます。
これから、このコラムでは、従業員に対する会社の賠償責任を認めた判決を解説します。
2 判決(東京地判平成21年12月1日)
⑴ 判決の概要
東京地判平成21年12月1日(以下、「本判決」と言います。)は、勤務によりアスベストに曝露して悪性中皮種(石綿関連疾病)を発病した従業員(原告)が、勤務先の会社を吸収合併した会社(被告)に対して損害賠償請求の訴えを提起した事件です。裁判所は、原告の主張を認め、会社に対し損害賠償額約5400万円の支払いを命じる判断をしました。
⑵ 事案の概要
ア 原告
原告は、自動車整備等を事業内容とするA社に、昭和43年に入社し、工場勤務(勤務内容は自動車の点検整備、車検など(自動車整備工))をしていました。その後、1年7カ月の間勤務し、翌年の昭和44年に退社しました。そして、平成19年初旬に入院治療を受け、悪性中皮種と診断されました。原告は労働者災害補償保険業務上支給決定を受けています。
イ 被告
被告は、A社を吸収合併した会社です。A社は昭和23年に、被告の子会社として設立され、その後B社に吸収されますが、平成10年に被告に吸収合併されました。
ウ 事案
本判決は、原告がA社に勤務中、A社の安全配慮義務違反によってアスベストに曝露し、悪性中皮種にり患したとして、被告に損害賠償を求めた事件です。
エ 結果
上述したとおり、本判決では、A社に安全配慮義務違反があるとして、A社を吸収合併した被告の損害賠償責任を認めました。その賠償額は約5400万円と判断しています。
⑶ 事案のポイント
ア 主張反論
原告は、悪性中皮種を発病したのは、A社で勤務していたことを原因とするものである。A社は、従業員がアスベストに暴露して生命、健康を侵害することを予見できたにもかかわらず、アスベストに暴露することを予防する措置をせず安全配慮義務に違反した、と主張しました。他方、被告はこれを否定しました。そのため、裁判の争点となりました。
イ 争いのポイント
上記裁判の争点のポイントは以下のとおりです。
・原告の悪性中皮種のり患とA社での業務との間に因果関係があるか
・A社に安全配慮義務違反があったか
結論から言えば、この争点のポイントを裁判所が認め、被告に賠償責任があると判断しました。以下では、本判決の内容から上記の因果関係及び安全配慮義務について解説します。
ウ 被告の責任
裁判所は、A社の義務違反の責任を被告が負うと判断しています。これは、被告がA社を吸収合併したからです。一般的に、企業①が企業②を吸収合併する場合、企業②が負っている権利義務関係は、企業①に引き継がれま、その結果、企業②が負うはずであった損害賠償責任は企業①が負うことになります。本判決が出た時に、被告に吸収合併され、A社は存在していませんでした。しかし、被告がA社の権利義務を引き継いでいたので、裁判所は、被告がA社の責任を負うと判断しました。
⑷ 争いのポイントの解説
ア 原告の悪性中皮種の発病とA社での業務との間に因果関係があるか
原告は、A社で1年7カ月と比較的短い期間の勤務でした。そのため、この期間に勤務したことが原告の悪性中皮種を発病する原因となったか、つまり原告の悪性中皮種の発病とA社での業務との間に因果関係があるかが争われました。
① 原告の業務とアスベストの関係
原告は、工場勤務においてブレーキドラムの清掃、ガスケット交換、フリクションディスクの交換などを行っていました。この点について、本判決は、本件「認定事実によれば、本件工場において、工場全体に粉じんが立ちこめるような状況であったとまではいえない。しかし、狭い空間にリフトアップ又はジャッキアップされた自動車が数多く並び、その下に潜り込むような形で整備作業が行われていたことから、整備員1人あたりの作業空間は相当に限られたものであり、原告は、そのような空間において、使用が黙認されていたエアガンを用い、圧縮空気によりブレーキドラム内に溜まった微細な摩擦屑を吹き飛ばす作業を行っていたのであるから、少なくとも原告の周囲の作業空間においては、エアガンを使用するたびに局所的に相当濃度の粉じんが発生飛散していた」と認めています。また、「マフラーの構成部品であるガスケットの交換作業に際しては、車体の下に入り、仰向けの状態で、直上でアスベスト布製のガスケットを引き剥がす作業を行い、ガスケットの屑や粉じんが顔に落下したこともあったのであるから、上記作業中、クリソタイルを含有する粉じんを直接吸引したものと認められる」としています。裁判所は、原告は上記作業によってアスベストに暴露した蓋然性があること認めました。
さらに、裁判所は「以上に加え、労災認定事例に基づく統計資料によれば、石綿ばく露期間が1.5年という事例も認められるところであるから、原告は、約1年7か月にわたる自動車整備工としての就業期間中」、悪性中皮腫を発症させるに十分なアスベストに暴露していたと認定しています。
② 他の原因の可能性について
原告が被告で勤務していた時ではなく、他の場所でアスベストにばく露して悪性中皮腫を発症した可能性もある、と被告は主張しましたが、裁判所は、原告が昭和44年、A社を退職し、それ以降、「直接石綿含有製品を取り扱う職業に就いておらず、居住環境、職場環境の上でも、石綿粉じんにばく露したことを推認させる事情はうかがわれない」ことに加え、被告の主張するところを退けました。
③ 結論
以上をまとめると、裁判所は、原告はA社での勤務中に悪性中皮種を発病するに十分なアスベストに暴露した蓋然性がある一方で、原告が他の原因で悪性中皮種を発病したことは認められないとしています。つまり、1年7カ月と比較的短い期間だろうと、前例もあることから、原告が悪性中皮種を発病したのはA社での勤務以外で考えられないと判断したのです。裁判所は、原告の悪性中皮種の発病とA社での業務との間に因果関係がることを認めたのです。
イ A社に安全配慮義務違反があったか
① 安全配慮義務
安全配慮義務という言葉を初めて聞いた方がいらっしゃると思います。安全配慮義務は、雇用主側が、労働環境を整え従業員が安全に労働できることを保証する法的義務であると説明されます。
安全配慮義務違反があったといえるためには、雇用主側が、勤務に関して従業員に危険があることが想定できたこと(予見可能性)、そして、その予見した危険を防止することができ、その義務があったにも関わらず防止しなかったこと(結果回避義務違反)を主張立証しなければなりません。
本判決の事件の場合、原告は、A社で勤務したことにより石綿関連疾病を発病することをA社が想定できたこと(予見可能性)、そして、石綿関連疾病を発病しないためにアスベスト暴露から従業員を守ることができ、守るべき義務があったのにそれをしなかったこと(結果回避義務違反)を主張立証しなければなりません。
② 予見可能性
アスベスト健康被害については、戦前から調査が開始され、戦時中は中断されたものの、戦後は調査が再開されました。その後、昭和35年にじん肺法が制定させています。また、昭和45頃には、アスベストに発がん性があることが報道され、社会問題となりました。裁判所は、この点を考慮して、「わが国においても、戦前から、石綿の危険性は指摘され、遅くとも昭和35年にじん肺法が制定されたころまでの間には、広く一般的に石綿肺を含む危険性に関する知見が確立していた。また、本件当時、少なくともわが国の研究者や関係行政庁においては、石綿が発がん性を有するとの認識が相当程度深まっていた」と認定しています。そして、「したがって、少なくとも被告のような大企業においては、石綿が人の生命、身体に重大な障害を与える危険があることを十分に認識し、又は認識すべきであったと解するのが相当である」と判断しています。さらに、被告の子会社であったA社の工場においても、同じことがいえるとしています。つまり、裁判所は被告及びA社は、A社で勤務することで石綿関連疾病が発病することを予見できた(予見可能性)と認めました。
③ 結果回避義務違反
裁判所は、上述のとおり、被告及びA社に予見可能性を認め、これに基づき、A社には「労働者を石綿粉じんばく露から保護する措置を講ずべき義務を負っていたと解するのが相当である」としています。そして、具体的には、「A社には、常時上記作業に従事する労働者に対し定期的にじん肺健康診断をし、じん肺の予防と健康管理のために必要な教育を行い、また、粉じんの発散を防止、抑制するための適切な措置を講じ、さらに、保護具を使用させるなどの適切な措置を講ずべき義務があったといわなければならない」とし、「このうち、粉じんの発散を防止、抑制し、また、保護具を使用させるなどの措置を講ずべき義務は、じん肺法上は努力義務とされているが、本件工場においては、本件当時、エアガンを使用して石綿を含有するブレーキライニングの摩擦屑等を吹き飛ばしている者がおり、A社としてもそのことを認識していたのであるから、粉じんの発散を防止、抑制すべく、エアガンによるブレーキドラム等の清掃を禁止したり、水洗いによる床面清掃を徹底し、一定の場合にマスク等の保護具の着用を義務づけるなどの適切な措置を採るべき義務を負っていたということができる」と認めています。
こうして認定された結果回避義務に違反し、従業員がじん肺になることを防止しなかった、として結果回避義務違反が認定されたのです。
④ 安全配慮義務違反
そして、裁判所は、「しかるに、A社は、本件当時、定期的なじん肺健康診断を実施せず、労働者に対し、じん肺の予防に関する教育を行わず、エアガンの使用を黙認し、工場本屋において、水洗いによる床清掃を1週間ないし1か月に1回という頻度でしか行わず、マスクの支給もしていなかったのであるから、労働者に対して採るべき安全配慮義務に違反していたというべきである」と判断しました。裁判所は、A社には原告に対する安全配慮義務違反があると判断したのです。
また、被告の責任として上述したとおり、裁判所は「合併によりA社の権利義務を包括的に承継した被告は、原告に対する安全配慮義務違反に基づく責任を免れないと」として、被告の責任を認めました。
3 結語
本判決は、勤務期間が比較的に短い場合であっても、アスベスト健康被害を受ける可能性があることを認めた画期的な判決と言えます。
ただ、これまで解説してきたとおり、被告側に安全配慮義務違反があることを主張するには、当時及び現在のアスベストに対する知見、被告側の認識、労働環境の整備などを具体的に主張立証しなければなりません。また、原告側としては、ご自身の職歴、生活環境などを記録することで、アスベストの被害状況を主張立証することが求められます。
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