アスベストとは、天然にできた鉱物繊維で「せきめん」「いしわた」とも呼ばれています。石綿は蛇紋石群と角閃石群に分かれます。代表的な石綿は、①蛇紋石群の白石綿(クリソタイル)と②角閃石群の青石綿(クロシドライト)及び③茶石綿(アモサイト)です。毒性の強い順は、②、③、①です。最も代表的な白石綿は、カナダ、アメリカ、ソ連、フィンランド、中国、北海道で生産されます。
アスベストは鉱物なのに布や糸のような柔軟性があります。しかも、燃えないし、錆びないし、腐りません。摩擦、酸やアルカリにも強く、丈夫で変化しにくいのです。エジプトではミイラの梱包などにも使われました。ギリシャのアテネ神殿ではランプの芯に利用されていました。
日本でも古くから知られていて、竹取物語のかぐや姫が求婚者に探してくるように言った中の「火(ひ)鼠(ねずみ)の皮(かわ)衣(ぎぬ)」がそうであったのではないかと言われています。かぐや姫に求婚した右大臣阿部御主人(あべのみうし)にかぐや姫が「唐土にある火鼠の川衣を持ってきたら結婚してもよい」と言いました。右大臣は、唐にいる王慶という船主に手紙を書き、多額の金を払ったところ、皮衣が送られてきました。喜んだ右大臣がかぐや姫に自作の歌「限りなきおもひに焼けぬ皮衣 袂かわきてけふこそは着め」とともに持っていったところ、かぐや姫と竹取の翁が「本来なら燃えないはずだ。焼いてみよう」と言いましたので、右大臣は自信満々で火をつけたが、めらめら燃えてしまいました。かぐや姫は「なごりなく燃ゆとしりせば皮衣、思ひの外におきて見ましを」と、返歌を送ったそうです。本物の火鼠の皮衣は不燃の石綿布だったのことです。
アスベストが工業製品として急激に使用され始めたのは産業革命以降でした。その耐熱性から蒸気機関車や蒸気自動車など、蒸気機関の保湿剤として利用されました。蒸気機関といえばアスベストを連想する位利用されていたのです。また、神田上水、玉川上水などの上水道、建材、造船、発電などにも用いられました。価格が安かったからです。
日本では、江戸時代に「エレキテル」の発明で有名な平賀源内がアスベストで織った不燃布「火浣布(かかんぷ)」を作成しています。「火浣布(かかんぷ)」は中国の伝説にある燃えない布です。明治時代には、越後金城山でアスベストが発見され、石綿布紙の製造法が開発され、利用されるようになりました。その後、近代化に伴う富国強兵・殖産興業という国家政策により、戦艦の建造には大量のアスベストが必要であったことから造成奨励法が施行されたことなどを契機に、アスベスト産業が奨励されていったのです。日本アスベスト(現在のニチアス)が設立されました。
戦前の需要は海軍が中心であり、造船部門でした。やがて建材としての石綿スレートの性能が認められ、国産化に成功し、多くの会社が生産を始めました。その後、石綿セメント管が量産され、さらには摩擦材としてのブレーキライニングが開発され、自動車産業に利用されました。さらに、アスベストは、吹き付け材、保温・断熱材、スレート材などの建材、自動車のブレーキライニングやブレーキパッドなどの摩擦材、綿紡織品、ガスケットなどのシール断熱材などの工業製品に使用されました。
戦後は、ビルの高層化や鉄骨構造化に伴い、鉄骨造建築物などの軽量耐火被覆材として、高度成長期に多く使用されました。前述したように、アスベストは値段が安く、耐火性、断熱性、防音性、絶縁性、耐薬品性などがあったことから、吹付けアスベスト、吹付けロックウール、アスベスト含有保湿剤に使用されたのです。しかも、抗張性(引っ張りに耐える力)が強くて長く伸び、加工もし易く摩擦にも強かったのです。そのため、鉄骨等の耐火被覆材、消防士の対火服や吸音・結露防止材や、内装材(天井、壁、床材)、外装材、屋根材、煙突材など、多くのものに使用されてきました。
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